敦賀明子さん/ジャズハモンドオルガンプレーヤー/アメリカ・ニューヨーク

敦賀明子さん プロフィール

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロに皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はニューヨークでご活躍中のハモンドオルガンプレーヤー敦賀明子(ツルガアキコ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「ハモンドオルガンプレーヤーとしてニューヨークで活躍すること」についてお話しを伺ってみたいと思います。

ー敦賀明子さんプロフィールー

ニューヨークのオルガンプレーヤー敦賀明子さん
敦賀明子さん

3歳の頃からオルガンを始め、高寺文子氏、セキトオシゲオ氏、当麻宗宏氏に師事。大阪音楽大学時代にジャズに目覚め、ジャズピアノを大塚善章氏に師事。卒業後ピアニストとして関西一円で活動を始める。その後、ハモンドオルガンを独学で学び、2001年に本拠地をニューヨークに移す。ピアノをSir. Roland Hanna、オルガンをDr. Lonnie Smithに師事する。同年にハーレムの老舗オルガンクラブ、“SHOWMANS”(ショーマンズ)でレギュラー出演する。Grady Tate (Drums, Singer)、Frank Wess(Ts,Fl)、Paul West(Bass)などと共演する。Grady Tateのグループではリンカーンセンターの野外コンサートやブルーノートなどのジャズクラブに出演。2003年3月、Time Out New Yorkで将来有望なオルガンプレイヤーとして紹介される。同年5月には初帰国ライブを行い、SwingJournal, ジャズ批評で紹介される。2004年春にM&Iからアルバム「ハーレムドリームズ」をリリース。 翻訳の仕事も手がけ、「Hammond Organ Complete: Tunes, Tones, and Techniques for Drawbar Keyboards(Dave Limina著)」をATMから2004年秋に出版した。現在NYで最も注目を受けているオルガンプレイヤーの一人である。


ー  もともと音楽に興味をもったきっかけを教えていただけますか?

3歳の時に、ある日エレクトーンが家に来て、運んでくれた楽器屋さんが簡単な曲を弾いてくれたんです。それを聴いて、なんて素敵なんだろう、と(笑)。もともと音楽を聞くと喜んでいた子供らしく、子供のころ、テレビの音楽にあわせて手を叩いたりとか、歌を歌ったりとかが大好きだったそうです。それで親が何か習わせてみようかな、と思ったらしいんです。家が狭いからピアノは無理だけどエレクトーンならいろんな音が出るし、ということで。それで、エレクトーンを聞かせてもらったのが格好良かったので、私も習ってみたい、と近所の音楽教室に通い始めました。

ー  そのときはジャズとかクラシックとかこれをやりたいとかそういうのはありましたか?

全然ないですね。ピアノの先生がエレクトーンも教えていたんです。エレクトーンを扱っているけどピアノの本をやったりとか。最初はピアノの本だったんだけど、そのあと世界の小唄みたいな、全集みたいなものをやったんです。それにコードネームが書いてあって、それを弾く、っていう感じで。何かその中に、今思えばジャズの曲も入っていたと思います。そのあとの先生が、エレクトーン専門の先生でした。エレクトーンはグレードがあるんですけど、グレード試験受けるときに一番最初にはまったのがフュージョンです。先生の息子さんがドラムをやっていて、フュージョン聴いたり一緒にバンドをやったりしていました。高校の時に専門コースに通ってたんですけど、エレクトーンプレイヤーの方に習っていました。 Giorgia on my mindを楽譜で弾いていたんです。それとかマンハッタンって曲。今思うと結構Jazzyな曲が好きになって、こんな感じの曲をもっと弾きたいって言ったら、ジミースミス(Jimmy Smith)聴いたらいいって先生に言われて聞いてみました。教室にライブラリーがありレコード聞いてみたんです。そしたら何じゃこりゃっ!って(笑)。先生は、彼は素晴らしい!って、すごい熱く語ってたんですけど、最初はなんかねえ、すごいなあ〜、って感じでした。音の洪水って感じです。全部同じ音だし。こういうのもあるんだな、って思いました。それまではハモンドオルガンって言うのを聴いたことがなかったんです。それで、これがハモンドオルガンって言うのか、と思って。

ー  ではその頃からハモンドオルガンをやり始めようと思ったのですか?

いや、その時はやるんなら作曲科に進みたかったんです。ところが、高校三年の時にエレクトーンの先生から紹介してもらった先生が、作曲にはコネがないみたいだったんです。なんかその先生もすごい面白い先生で、音大出たら、お見合いの時に便利だから、って言って音大を薦めるんです(笑)。最初、武庫川女子大学の音楽学部とか山手短大ってとこがあって、そこの音楽科とか、とにかく作曲科に行きたかったんです。でも先生が、「音大」ってついてたらお見合いの時に強い、っていわれて(笑)。今は分からんかもしれないけど、大きくなったら分かる、と言われて(笑)。それが高3の5月だったんです。それまで一度もピアノを弾いたことがなかったんですよ。それで、エレクトーンの月謝もすごく高かったし、3人兄弟で私が長女なんですけど、それ以上に私にばっかりお金かけるわけにはいかなかったんです(笑)。それで、音大に行くっていったら、本当はトーンとか、それぞれ違う先生につかないといけないわけです。でも、その先生の場合は全部まとめていくら、って感じで、なんでも教えてくれて。なんか考え方とか変わってて面白かったですね。受験のためだけに習いに行っていたんですが、緊張して会いに行ったら音大言ったらお見合いの時便利だよって言われて(笑)。それで習いに行くようになって、ピアノは全然やっていなかったからそこからソナチネを始めて。エレクトーンはちょっと休んで。

ー  それで、音大に入ってから何故ジャズに目覚めたんですか?

クラシックで音大に入ったんですけど、みんな上手だったんで、これはついていけないなと思って(笑)。私が習った大学のピアノの先生が、私が前にエレクトーンをやっていたというので、手の形がどうとか、手の形が悪いとかいつもネガティブなことばっかり言われたんです。私はクラシックがやりたいと思って学校に入ったのに、なんかやる気なくなってきて。そうじゃなくてもピアノは鍵盤が重たいからしんどかったんですよ。なんか手にしっくりこないというか。ずっと練習してましたけど。でも、そのころからエレクトーンもまたやり始めていました。それは将来のためにヤマハのグレードを取っていたほうが良い、と思ったからです。その頃のヤマハというのは、グレードが上がるにつれてジャズの曲が多くなっていったんですね。一人ビックバンドって感じでした。エレクトーンがもっとシンセサイダーみたいになってて、ブラスとか、ストリングセクションとか。で、試験受けるときにジャズの曲を弾いた方が.....受かりやすいって聞いたんです(笑)。また学校にもライブラリーがあったので、オスカー・ピーターソンとか聴きました。その頃、子供の頃から一緒にエレクトーンを習っていた友達がジャズピアノを習い始めたんですよ。大塚善章さんに。面白いなって思いました。あ、そっかって思って。それで、音大を卒業してヤマハのエレクトーンの講師になったんです。講師になったんだけど、やっぱりグレード試験ちゃんと受けようと思ったんです。3級まで言ったのかな。指導グレードと演奏グレードというのがあるんだけどそれを全部取りました。そのグレードを取る少し前に私も大塚善章さんにジャズピアノを習いに行ったんです。面白いって思って。そのころ世の中がバブルで、新人のお仕事が一杯あったんですよ。ソロピアノで。私の友達は結構きれいで社交的だったんで、あっという間にそういう仕事をゲットしたんです(笑)。大阪は特にだと思うんですけど、どこでもそうかもしれないけど、ちょっとかわいくて、社交的な人のほうが仕事が取れるんだと思います(笑)。誰かのサブとか。彼女は彼女ですごく自分のサブを探してたんですよ。で、彼女は私に無理やりサブをやらせようとしたんです(笑)。あ、その前に、大学時代に近所のピアノバーみたいなところがあって、ピアノ喫茶みたいなとこですけど、そこに弾きにいってたんですよ。なんちゃってピアノで、ジャズみたいなものを一人で弾いたりしてましたね。

ー  じゃあ、ジャズは大学のときからやっていたんですね。

そういえばしてたんですね。楽譜を見たりしてやってました。

ー  何か惹かれたものがジャズにあったんですか?

クラシックが面白くないから(笑)。

ー  では、ジャズは面白かったですか?

面白かったです。アドリブとか弾けるし、自分で作れるし。

ー  敦賀さんはハモンドオルガンプレーヤーですが、あまりこの楽器に親しみのない方もいるので、ハモンドオルガンというものを簡単に説明してもらっていいですか?
 

ハモンドオルガン
ハモンドオルガン

ハモンドオルガンは、時計職人のローレンス・ハモンドという人がアメリカで発明した電気オルガンで、時計のぜんまい仕掛けと同じなんです。オルガンの真空管を使用し、パイプオルガンをもっと家庭用にできないか、というコンセプトで作られました。ぜんまい仕掛けの技術を利用して、パイプオルガンを小さくして、キーを押したら、接点が7個あり、ドローバーといういろいろな音に切り替わるものがあります。それを引き出すことによって、いろんな音が作れます。またレスリースピーカーという、スピーカーの上に羽がついているスピーカーを使用します。この羽を鳴らすんですが、この効果は簡単に言うと扇風機のそばで、わ〜って言ったら、振動音が出ますよね、あんな効果があるんですね。
注)Hammond Organ Complete: Tunes, Tones, and Techniques for Drawbar Keyboards(Dave Limina著)敦賀明子さん翻訳

ー  ハモンドオルガンに惹かれたきっかけを教えていただけますか?

日本でジャズピアノの仕事を始めるようになって、大阪のあるところで、レギュラーをやっていたんです。そこで、ジャムセッションをやっている、ということで、ジャムセッションに行き始めたんです。その時に、オルガンやってる人がいて、カッコイイなと思っただけど、オルガン一人で弾いてても、他の人ができないから、ピアノを一生懸命やっていたんです。レギュラーとかジャムセッションをその頃毎日やっていました。それでそこがブルーノートの前だったんで、ブルーノートからアフターステージの人が一杯来たんですよ。それこそ、ロイ・ハーグローヴ(Roy Hargrove)とかグラディ・テイト(Grady Tate)もそこで会いました。そのときはピアニストはたくさんいて、ピアノは順番があまり回ってこなかったんですけど、オルガン弾いたら、オルガンを弾ける人あんまりいなかったので、ずっと弾けたから、それでオルガン弾き始めたんです(笑)。そこで東京から来ていたドラムの人にオルガン上手ですね、と言われて(笑)。そうなんや、って思って(笑)。昔からやってたし、ピアノと違って、オルガンは鍵盤軽かったので音出すのに苦労しないし。子供の時からやっていたから、手になじむという感じです。

ー  そのように日本でプロでやっているにも関わらず、何故渡米しようと思ったんですか?
 

ニューヨーク・オルガン敦賀明子さん
ニューヨークを生きる

同世代の友達があるときを境にみんな留学でアメリカ(ニューヨークとボストン)に行ったんです。結構それで、アメリカに遊びに行くようになりました。丁度そのころ大阪でグラディ・テイト(Grady Tate)と会ったんです。そのときジミースミス(Jimmy Smith)と一緒に来ていたんですが、オルガンも弾くって言ったら、オルガンなんか嫌いだ、ピアノやれ、って言われて(笑)。その頃グラディ・テイト(Grady Tate)さんは半年に一回ぐらいは来ていたので、もう一回会って、聴いてもらったら、もうニューヨークに来たら良いのにって、言われたんです。そのときはそう言われましたし、ニューヨークに友達がいたし、1年に1回ぐらいはニューヨークに遊びに行っていました。友達はそれなりにニューヨークで演奏活動をしていたんで、行く度に私もやってみたいな、ここに来たらすごい楽しいことが待ってるんだろうな、と思いました。1年位だったらいけるかな、お金ためて、と。バイトもして、お金も貯まったので、それでB3(注:オルガンの型)を買うか、ニューヨークに行くかちょっと迷ったんですけど、どうせだったらニューヨークに行ってみようと思ったんです。

ー  そのときは音楽活動を目的としてニューヨークに行かれたんですよね?

そのときはオルガンをやろうと決心していました。日本ではホームプレイヤーとしてやることがなくて、特にオルガンは誰かのバンドでサイドメンでやるということがほとんどなかったんです。私は人のバックでホンピングするのが好きだったので、そういう勉強をしてみたいな、とも思っていたんです。アメリカに行ったら一杯ミュージシャンもいるし、人のバックで演奏する機会もあるだろうと思ったので。

ー  ニューヨークは本場という意識はかなりあったんですか?

ニューヨークは流れてる空気も違ったし、ここにいるだけで、自分がすごい成長できるんじゃないかと思ったんです。

ー  敦賀さんの自分の音楽スタイルはどうやって作っていくのですか?

自分がそのときに聴いているもので、こんな風にやってみたいな、って言うのがあったらまねしてみたりですね。スタイルというよりも、ニューヨークに来てびっくりしたんですけれども、みんなオルガンに合わせて踊るんです。ニューヨークに来てすぐ位の事だったんですが、ハーレムの125丁目のシーフードレストランで、ボーカルの人の曲で、すぐにギグをやったんですよ。今も一緒にやっているサックスの友達が、ここでやっていくなら絶対オルガンやで、っていうんで、なんで?って聞いたら、ベースプレーヤーがいないから、って(笑)。ベースプレーヤーを探すの大変な街だから、オルガン弾いていたら、ベースもできるし、ピアノもできるし、絶対こっちのほうが仕事ある、って。私自身はそんなこと全然考えてなくて、お金が尽きたら帰ろうと思っていたので。そのときはふ〜んって思って。それで、Showmansに行くのに、最初怖いから、ボディガードを連れて行ったら追い返されて、というかいいように断られたんです。それで二回目に、女なら良いだろうと思って、友達の女性を連れて、入らせてもらったんです。それでそこに結構二人で通ったんです。そうしたら店の人が目をつけたみたいで。

ー  お客さんのふりをして通ったのですか?

ええ、もちろんギグ取ろうと思っていました。お店の人も覚えててくれて、それから一人で行ったりとか。そしたら友達がこれ絶対ギグ取れる、と言い出したんです(笑)。もう一息だと言うんですね。グラディ・テイト(Grady Tate)も連れていこうと言って一緒に行ったりしました。たまたまボーカルの人が来たので、じゃあ3人でやったらということになったんです。お店の人が 3人だったらやらしてあげる、って。それでShowmansに行き始めて、結構すぐに違う曜日にも行き始めたんですよ。多いときだと週に3日ぐらいレギュラーで貰っていました。そこで知り合った人からも別のギグをもらったんです。その後、引越しをしたんですけど、何で引っ越ししたかって言うと、オルガン運ぶには車じゃないと無理ってことが分かって(笑)。最初は地下鉄で運んだんですが、本当に大変でした(笑)。それで車持ってないなら、アクセスしやす場所に引っ越したほうがいいな、って。本当に重くて、一度運ぶと体中に青あざできるぐらい重いんです(笑)。それも重すぎて誰も手伝ってくれないし(笑)。今はもう少し軽くて音がいいキーボードがあるんで、それを使ってるんですけど。

ー  現在は日本人や外国人と演奏しているわけですが、一緒にやっていて、人種の違いはありますか?

ニューヨークはいろんな人種の人がいますよね。白人とか黒人とか。ついこないだも私以外全員黒人っていうバンドでやったんですけど、その時になんだか彼らはすごいなって思ったんです。雰囲気が、なんていうのかな、フィーリングって大切だな〜、って。それは例えば、外国人が演歌を歌います。でもなんとなくフィーリングが出そうで出ないじゃないですか。そういう感じでなんですよ。そのときもちろん私は頑張ったんですけど。これは外国人が津軽三味線をやろうとしてもなかなかフィーリングが出ないのでと同じで、私が演歌やって、歌は下手だけど、ここでこぶしの一つでも聞かせれば効果的だとか、下手でもフィーリングだけは伝わるって言うかそういうのは分かるし出来ると思うのです。それはやはり小さいときから演歌を聞いてきたからというのと、そういう日本の文化で育ったというのがあるんだと思うんです。やっぱり私達外国人の日本人がジャズをやるっていうのもそういうことなんだろうなって思ったんですね。でも外国人が日本の演歌をやった時に、違う感性で同じものをやるとそれが結構面白かったりするでしょう。だから結構外国人の私たちがジャズを弾くってことは、アメリカ人からしたら違う観点でジャズの物事を私たちが捕らえていて、それはそれで面白いと思っていると思うんです。

ー  演奏中にうまくフィーリングが出ないなと考えているのですか?

いやもう頑張ったのに何か、自分の中ではこういう風に弾きたいって言うイメージがあるんです。例えばジミースミス(Jimmy Smith)のキーンて弾くおいしいとことかね。それを弾こうと思うんだけど、でもその時に、一緒にやっているエリック・ジョンソンがギターが、一音ガーンって弾く音のほうが私がやるよりも格好良いんですよ(笑)。

ー  どうしてそういう差が出るとお考えですか?

やっぱり、一つは文化の差。そして、彼らは一音にこめる感覚って言うのが、すごいフィーリング持っているのにも関わらず、すごいリラックスしてるんです。フィーリングとか、パッションで弾く日本人のプレーヤーもいると思うんだけど、なんとなく、頑張ってます!っていう感じに終わってしまう人が多いと思います。何が違うかって考えると、アメリカ人の場合は、すごいがーっと集中して演奏に入ってるんだけど、その間もリラックスしてるんですよ。肩の力が抜けてるんででしょうね。何でかというと、やっぱりアメリカの人たちは、最初からそういうフィーリングを持ってるからだと思います。日本人だと、そういうグルーブのフィーリングを、ジャズのフィーリングを身に着けるところから始めるじゃないですか。日本人とアメリカ人のテクニカル面での差はないと思うけど、フィーリングの違いですね。確かにオルガンって難しいのもありますけど。ハモンドオルガンは右手でメロディー弾いて、左手でベース弾いて、ベースペダルで、左手で弾いてるベースに、例えばウッドベースを弾いてるときに、立ち上がりがありますよね、ああいうのをベースで弾くんですよ。ちょっと練習してなかったら、バラバラですね。

ー  ちなみに練習はどのくらいなさるんですか?特にプロになったあとなんかどうですか?

ニューヨークに来て、一番思ったのが日本でいかに練習してなかったか、って事ですね。アメリカに来てから本当に一番必要なのは練習だったと思いました。ニューヨークの人たちはみんな本当に練習してます。例えば、DR.ロニースミスというオルガンプレーヤーに、オルガンを個人的に聞く機会があったんですけど、一日中弾いてますね。テレビ見ながら(笑)。オルガンをテレビの前において、テレビ見ながらずーっとオルガンを弾いて手を動かしています。テレビが面白くなったら、オルガンの手を止めて、テレビの音を大きくして(笑)。あれ見てたら、人生観変わりましたね。私はテレビ見ながらやるんだったら、集中してがんがんやったほうがいいのでやり方は違いますけど。DR.ロニースミスの場合は、とにかく楽器に触れるということが大切だと言って、朝起きたらまず楽器に触れる、夜寝る前は楽器に触れる、という生活ですね。楽器とともに生活という感じですね。     

ー  音楽活動をやっていく上で、何かこだわりみたいなものはありますか?
 

ジャズオルガン
ジャズオルガンプレーヤー

人が踊れないような音楽は絶対しない、ということです。楽譜にかぶり尽いて、聞いてる人がリズムにあわせて体が揺れないような音楽は絶対にやりません。

ー  日本とアメリカのお客さんの違いって何ですか?

アメリカのお客さんというのは反応が、日本のお客さんに比べてダイレクトですね。良かったらわーって言うし、あんまり良くなかったら、すごい喋るんですね。こっちが気分良く弾いていたら、それに対する反応というのはすごいダイレクトですね。去年日本でCD(注)が出て、日本でライブツアーをしたんですけど、その時にやっぱり日本のお客さんは国民性の違いだと思うんだけど、奥ゆかしいというか、でも実は喜んでいる、という感じがありますね。日本で嬉しかったのは、最初にみんなすごい固い表情で見てるんだけど、だんだんお客さんの表情が和らいでいくのを見るのがすごく楽しいです。国民性の違いというのは面白いですね。
(注)「ハーレムドリームズ」(2004/05/19発売)

ー  音楽をやっていて一番やっていて良かった、興奮したと思う瞬間はどのような事ですか?

やっぱりすごく良いメンバーと、すごく良いお客さんが聞いてくれるところで演奏して、ものすごくビートが気持ちよくて、このままやめたくないなって思うときですね。

ー  それはバンドのメンバーにもよりますか?

オルガンは自分自身の負担が大きいので、サポートしてくれるとうれしいですね。そういう意味でメンバーによって気分は変わってきますね。グラディ・テイト(Grady Tate)のバンドでもやってるんですけど、彼とやるときはいつも楽しいです。彼はすごいんです。ボーカルのバンドでやることが多いんですけど、やっぱり彼はジャズの生き字引みたいな人で、持っている引き出しがすごく多くて深くて一緒に演奏していて楽しいです。ジャズのことを知り尽くしたっていうか、アイデアもそうだし、本当にスキャットずっとしても、その抑揚のつけ方とか、引き込まれるような感じがあります。自分が上手になったような気がする位です。そのくらい違うものですね。バンドとしての質も一気に上がります。

ー  ニューヨークで受けた影響って何かありますか?

ビートや音楽に対する気合という事に影響を受けましたね。やっぱりいろんなところからニューヨークに音楽をやりに来ている人が多いので、みんな生きていくのに必死です。ギャラも多いわけではないし、そうなると自ずと競争も激しくなります。そうするとやっぱり音楽に対する情熱がないと生きていけない。もちろん情熱があっても上っていけない人は一杯いますけど。

ー  敦賀さんにとってジャズや音楽とは何ですか?

自分の人生です。Dr.ロニースミスなんかは、「人生を音にしろ」って言ってますし。

ー  カッコイイですね。そういう人生を歩んでいる方の将来の夢はどのようなものですか?

私の音楽で、聞いてる人がハッピーになって、幸せな気分になってもらいたい、ということですね。

ー  海外でミュージシャンとして、成功する秘訣ってあるとお考えですか?

人に誠意を尽くすことだと思います。いくらうまい人でも、やっぱりいい加減な人はそれなりになってしまうと思います。日本もアメリカも一緒だと思うんですが、人間として必要なことだと思います。グラディ・テイト(Grady Tate)もそうなんですが、ジャズを育てよう、っていう意識があるんですよね。有名でも決して威張ったりするわけでもないですしね。人間として成長することが成功することの条件なのでしょうね。

ー  今後の敦賀さんの演奏活動をお聞かせいただけますか?

(2005年)来月8月にリンカーンセンターでアフターアワーズで1週間トリオで出ます。エリック・ジョンソン(ギター)とビンセント・エクター(ドラム)と一緒です。8月末から日本にツアーで帰ります。こちらはエリックジョンソンと田井中福司さんの3人で。普段は、私のバンドって言うのが2ヶ月に1度クレオパドラーズニードル(Cleopatora's Needle)でやったりたまにスモーク(Smoke)やショーマンズ(SHOWMANS)などでやっています。

ー  今後海外で勉強しようと考えている方にメッセージをお願いします。

日本でできることは全て日本でやってからアメリカに来たほうが道は早いと思います。例えば、アメリカに来てもすぐに人と演奏できるぐらいの技術を身につけておくなどです。アメリカに来て一から学ぼうとすると、言葉の問題とか、生活に追われたりとかするからです。アメリカ来て、人と演奏して、言葉が通じなくてもなんとかなる、って言うぐらいのレベルにするといいと思いますね。これが一からだったらもっと時間がかかるだろうし。日本で習えることは日本で習って。ジャズだけではなくて、クラシックでもそうなんですけど、まったく初心者でアメリカで来るというのはお勧めはしないですね。日本でやることはやって、ある程度経験を積んでからの方がいいと思います。

ー  仕事を得るのはコネクションが多いですか?

やっぱりコネクションが多いですね。だからみんなに誠意を尽くしていれば、話が周ってきますよ。嫌な人でもニコニコして。私はなかなかできないんですけど(笑)。言葉ができなくて、向こうも何を言ったらいいか分からないということもあったんですね。笑顔は世界共通、たまに彼女はアホかって言われることもあるらしいんですけど(笑)。やっぱり女は愛嬌ということで(笑)。

ー  最終的にはジャズならアメリカに行ったほうがいいんですかね?

自分の音楽のスタイルさえできたら、音楽をやるのはどこでいいとは思うんですけれども、ジャズをやっている以上は、一度はここの街のもつムードを経験するのは、絶対プラスになるでしょうね。

ー  ありがとうございました。
 

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