土屋満久さん/ピアノ/ブリュッセル王立音楽院/ブリュッセル/ベルギー
ピアノ奏者。桐朋学園大学音楽学部を経て同大学院大学修了後、ブリュッセル王立音楽院を修了。
パリ国際夏期音楽アカデミー、ナンシー国際音楽アカデミーなどのマスタークラスに参加。
-まず初めに、簡単な自己紹介、留学をする前の音楽のご経験お話いただけますか?
土屋様:6歳からピアノを始めまして、本格的に音楽を勉強しようと思ったのが高校2年のときだったんですけども、それをきっかけに桐朋の先生のもとでのレッスンを始めて、そのまま桐朋に行って、そこから大学院まで勉強させていただきました。大学院2年目の時に参加したフランスのナンシーの講習会で、ブリュッセル音楽院のヨハン・シュミット先生にお会いすることができて、一緒に勉強したいと思いましたので、思い切って先生と勉強したいですということをお話したところ、ぜひブリュッセルにおいで、ということで、それでブリュッセルに留学させていただきました。
-だいぶ長いというか、6歳から20年ぐらいずっとトレーニングされて。
土屋様:小さい頃はそんなに真剣にやってなかったんですけど。
-先ほど、高校からとおっしゃって。それでも10年以上ですよね。やはり高校でやるレベルと大学でやるレベル、また大学院でやるレベル、はたまたベルギーでやるレベルはそれぞれ違うと思うんですけど、どういう違いがあるんですか?
土屋様:まず単純に課題の量が違いましたね。
-具体的に、何曲ぐらい弾きなさいとか言われるんですか?
土屋様:高校生のときは、自分はそこまでレベルの高いほうでもなかったので、長い時間をかけて大学入試に向けて2、3曲を勉強していました。
-それを1年間でやるんですか?
土屋様:具体的な期間は記憶があいまいですが、かなり長い時間をかけて入試のために練習していました。大学になると半年に1回実技試験があって、その合間にいろいろコンサート出させていただいたり、コンクールに挑戦したり、友達の伴奏をしたり色んな曲を同時進行で練習していました。大学院になると、正式に室内楽が必修になって3~4組同時に掛け持ちながら、かつ1時間のリサイタルプログラムを2年間に3回組まなきゃいけないので、そのプログラムも用意しつつ、かつ論文も書くといった内容でした。
-プレイヤーとしての練習時間というのは、高校生だと、1週間でどれぐらいレッスンされるんですか?
土屋様:先生のプライベートレッスンが大体週に1回ありました。普段の練習は学校が4時ぐらいまでありますので、どうしてもそこから夜までっていう制限がありました。学校ある日で大体、高校生のときだと4~5時間。
-毎日ですか?
土屋様:毎日、もちろん体調とかコンディションを見ながらですけど。
-それが今度、大学になるとどれぐらいに?
土屋様:学年によって授業の数も違うので、一概には言えないんですけど。
-1年生から4年生にすると、4年生のほうが練習量が多いとかあるんですか?
土屋様:4年生にもなると授業が少ないのでその分練習にあてられますし。あと学校で練習できるので、授業の合間に練習室が空いていれば練習したりとか、学校も朝早くから開いてるので、朝頑張って早く起きて練習したこともありました。
-ではさらに8時間とか9時間ぐらい練習されるんですか?
土屋様:多いときはそれぐらいやってたと思います。
-大学院というとどちらかというと、付く先生によって変わってくると思うんですけど、研究するほうがメインになるんですか?それとも演奏に集中できたりするんですか?
土屋様:自分が行っていた大学院は演奏を重視する大学院だったので、本番の機会もカリキュラムの中にたくさんありました。
-短期留学でフランスを選ばれた理由はなんですか?
土屋様:言葉の面で、英語とフランス語しかやったことがなかったので、留学先を決めるんだったら英語圏かフランス語圏というふうに考えてまして、いろいろ先生を調べたり、実際留学している先輩方から情報を集めて、先生方の経歴とか、今はYouTubeに先生方の演奏がいっぱいあって聴くこともできますし、それでヨハン・シュミット先生に一度実際お会いしてレッスンを受けてみたいと思って、調べたらナンシーで教えてらっしゃるということだったので、それでナンシーに決めました。
-決めるポイントは具体的にどういった部分ですか?
土屋様:そのとき自分が課題として、ピアノプレイヤーの中では割と体が大きいほうだと思うんですけど、なかなかその大きさを生かした音が出せないという点で悩んでいて、体の使い方を教えてくださる先生に習いたいなと思っていました。ヨハン・シュミット先生は190センチぐらいある先生で、体の使い方をすごく重視されていて、すごく丁寧に教えてくださいました。その2週間ぐらいの講習会の間でも、すごく自分の中でよくなったという実感がありました。
-学校の出願で困ったことはありましたか?
土屋様:出願に関してはアンドビジョンさんがやってくださったので、自分は言われた通り大使館に行ったり、警視庁に証明書を取りに行ったり、それぐらいで言われたことをやっただけという感じなので、困ったことは特にありませんでした。
-実技試験はいかがでしたか?
土屋様:それもヨハン・シュミット先生の試験のためにレッスンを何回か受ける機会もありましたし、大学、大学院でたくさん勉強してきた曲、準備がよくできている曲を入試では選んだので、あまり困ったことはなく、本当に順調に準備はできたんじゃないかなと。
-土屋さんの場合、受けられて、実際に先生を見つけて、そこに実際行ってみて、すごく自分にマッチして、成果も見れて、じゃあそこに長期で行こうっていう、すごくセオリーというか、失敗しない、そこはポイントですよね。長期で行っちゃって本当に果たしてそれでよかったのか、っていうのはわからないですもんね。
土屋様:友達の中でも、こんなはずじゃなかったみたいなパターンもあって。
-そう考えると、プライベートレッスン、マスタークラスとか受けて、この人に付いていこうと決めて行くのが正解なんですね。ご留学をされる前に準備はどれぐらいかけましたか?
土屋様:ブリュッセルに行くと決めてから日本にいる時間が1年間ありました。まだ大学院も残っていたので準備に専念するという感覚はありませんでしたが、1年間あったので、先生とメールとかでやりとりしながら、ゆっくり入試の曲目を決めたりしました。
-準備は大体1年ぐらいかけて。
土屋様:そうです。あと語学もやりました。
-フランス語はどれぐらい勉強されていたんですか?
土屋様:もともと大学で第2外国語でとっていたんですけど、大学時代はまさか本当にフランス語圏に留学すると思ってなかったので、その時は単位とれればいいや、ぐらいにしかやっていませんでした。それでも一応文法の知識は一通りあったので、とにかく話せるようになることを意識して、音読の練習したり、もう1回改めて文法を確認したりとか、ボキャブラリーを増やしたり、っていうことを結構やりました。
-ナンシー国際音楽アカデミーに行く前もちょっと勉強されてたんですかね。
土屋様:そうですね。本当に簡単な会話だったらできるぐらいにはなって。
-先生のおっしゃることもある程度分かるくらいですか?
土屋様:いや、レッスンとかだとまだ、ナンシーのときはわからないこともありました。シュミット先生は英語も堪能な先生だったので、わからないときは英語で言ってくださりました。
-学費はどういうふうにご準備されたんですか?
土屋様:両親がサポートしてくれました。
-実際にブリュッセルのほうに行かれて、音楽院のほうはいかがでしたか?
土屋様:すごいのんびりしているなと思いました。
-街自体はいかがでしたか?
土屋様:そうですね。街もすごくのんびりというか、みんな自由というか。
-それはご自身と合っていましたか?
土屋様:ちょっと自由すぎるのかな、と思ったこともありましたけど、でも慣れてくれば、すごいいいなと、思いながら過ごしていました。
-どれくらいで街の雰囲気に慣れましたか?
-わりとスッといけた感じなんですね。
土屋様:そういうタイプなのかもしれないですね。でもブリュッセルは結構日本人留学生もいたので、やはり日本語で話せる人がいるというのはすごく救われたなというか。やはり安心しますし、落ち着きます。
-町の人たちの音楽に対する捉え方、音楽とどういうふうに皆さん接してらっしゃいましたか?
土屋様:音楽を身近に感じてる人が多いんだなと思いました。日本だとクラシックってどうしても敷居は高いというイメージを持っている人が多いと思います。みんながみんなそうではないと思うんですけど、日本ではそういう印象があるのかなと思うことが多かったです。
-演奏会は行かれましたか?
土屋様:はい、行きました。
-いかがでしたか?
土屋様:若い世代がすごくいっぱい来ていたのが印象的でした。日本のクラシックの演奏会に行くと、やはり年配の方や、ある程度年齢を重ねてこられた方が多いなという印象があるんですけど、10代、20代ぐらいの若者も結構いたような気がします。チケットも安いですし。10ユーロで世界のトップレベルの演奏が聴けて。
-ホールも日本とは全然違いますか?
土屋様:そうですね。歴史があるというか。教会で聴いたときは全然違うなと思いました。教会のコンサート行ったとき、音響がすごくて。
-大きい教会ですか?
土屋様:すごい大きい教会です。ブリュッセルで1番か2番ぐらいに大きい教会でコンサートを聴いたとき、昔の人もこんな響きの中で聴いていたのかな、と思ったり。
-先ほど国内では室内楽をいろいろかけ持ちとかおっしゃっていましたけど、逆にブリュッセルのほうではどういった活動、授業内容でしたか?
土屋様:実技の面では日本の大学院と大体同じぐらいでしたね。室内楽が年間5組必修でした。あと結構大変だったのが、一般科目みたいなものも必修で受けなきゃいけなくて、哲学とか法律とか、もちろん全部フランス語ですし、ちゃんと単位とるためのテストもあるので、それはすごい大変でした。
-学校の試験は日本みたいな、質問に対して答えを書くという感じですか?それともエッセイの提出ですか?
土屋様:一問一答みたいなものもありましたし、説明しなさい、とか、自分の考えを書かせるようなものもありましたね。
-わからないことあったら先生に聞きに行ったりとか、これどういうことなの?というやりとりを一般科目の先生ともされたんですか?
土屋様:そうですね。授業中にみんなすごい質問するんです。はい、って手を上げて、これどういうことですか?もう1回説明してください、みたいな。それは日本の大学だと先生が一方的に話して、っていう授業が多かったので、それは違うなと思いました。
-スタイルとしては、先生が前に立つ様な一斉授業ですか?
土屋様:そういう授業もありましたし、グループを組んでディスカッションするみたいな授業もありました。
-同じクラスだと日本人はどれぐらいいらっしゃいましたか?
土屋様:ヨハン・シュミット先生のクラスには3人いました。学校全体で日本人は20人ぐらいじゃないですかね。
-練習されるのも、大体日本と同じぐらいの練習量は確保できましたか?
土屋様:日本の大学ほど設備が充実していなかったので、練習環境を確保するのは日本よりも大変でした。
-それは練習室が少ないということですかね?
土屋様:そうですね、少ないです。
-大学にはいくつぐらい練習室はありましたか?
土屋様:多分40、50はあると思うんですけど、学生が全部で5学年あって、各学年多分100人ぐらいいるんですかね?ちょっと人数は曖昧なんですけど、でもそれぐらい、数百人という学生がいて、それに対して部屋が50ぐらいしかないし、授業とかレッスンで結構埋まっちゃって、残りの空いている部屋は争奪戦ですね。
-事前に予約して使用するのですか?
土屋様:受付に行って、練習室帳に名前を書いて登録します。1回2時間までという決まりがあって、何時から練習始めましたって書くんですね。前の人が練習を始めた時間を見て2時間たった人がいたら、受付に学生証をわたして、今からこの部屋行きますと言って、ドアをノックして2時間たったよ、みたいな感じで利用している学生に伝えるんです。
-言わないと空けてもらえないんですか?
土屋様:もうみんなルールはわかっているので、みんな快く、どうぞどうぞ、みたいな感じでした。
-学校外でセッションとか、集まってリサイタル、コンサートみたいなことはされましたか?
土屋様:ベルギー人の友達で、よくコンサートの企画をする友達がいて、そこに結構呼んでもらいました。
-現地の人と音楽を通して接してみていかがでしたか?
土屋様:知らない人とかも、演奏後にすごい話かけてくれました。すごいよかったよ、とか。結構音楽通の人だと、ちょっと音硬かったね、とかそういうことも言われるんですけど。
-大体の1日のスケジュールを教えていただけますか?
土屋様:大体8時とか9時ぐらいに起きてました。授業は毎日はなかったんですが、講義系の授業は午後が多かったと思います。練習室が空いていたら練習して、家にもピアノを置いていたので、家で練習することもありました。あと授業やレッスンの合間に室内楽の合わせ練習もやっていました。
-食事はカフェテリアでとったり、お弁当持っていったりしてたんですか?
土屋様:学校の近くにすごく安くておいしいサンドイッチ屋さんがあったので、よくそこを利用していました。
-ブリュッセルってどんなサンドイッチが出るんですか?
土屋様:フランスパンにハンバーグとか、生ハムとかチーズが入ってるサンドイッチがありました。
-現地で先ほど音楽通の方が寄ってこられたっておっしゃってましたけど、演奏会を通じて、そこからまた広がった、みたいなことは何かありましたか?
土屋様:別の演奏機会ということですか?特に、あまり。
-同級生とか、先ほどベルギーのお友達が一緒に誘ってくださったとおっしゃってましたけど、クラスメイトはどういう感じで授業に向き合っているというか、皆さん先生を指示してそこのクラスを受けられているという感じですか?
土屋様:そうですね。シュミット先生のクラスはそういう人が多かったと思います。
-授業以外の日、例えばお休みは1週間で2日ぐらいあるんですかね?
土屋様:そうですね。2年目はほとんど授業がなかったので、週3ぐらいは授業も何もないという感じですかね。
-そういうときはどういうふうに過ごされたんですか?
-待っている間、本読んでいたり。
土屋様:そうですね。いったん家に帰っちゃったこともありましたけど。
-近くにあったんですか?
土屋様:そうですね。歩いて5、6分のところに。
-天気のいい日とか、気持ちよく出せるんですけどね。雨の日とかは最悪ですよね。
土屋様:あとはスーパーで食料調達したり。それも毎日行けないので。
-宿泊先はどのように探されたんですか?
土屋様:ナンシーで知り合ったベルギー人、さっきの人とは違う人なんですけど、ベルギー人の友達が音楽物件を紹介してくれて、そこが苦情とかに悩むことなく遠慮なく練習できるということだったので、その友達の紹介で決めました。
-楽器は音が出ますからね、当たり前ですけど。
土屋様:その代わりみんな音楽科の学生だったので、周りも結構うるさかったんですけど、お互い別に苦情になることはなかったです。
-何名かと一緒にシェアハウスみたいなかたちで?
土屋様:完全に1人でした。キッチンとトイレ、お風呂があって。すごい狭かったですけど。
-生活費は日本と比べてどうですか?1カ月でいくらぐらいですか?
土屋様:日本円で11、12くらいじゃないですかね。
-それは宿泊、あと食事とか、家賃、光熱費含んで10万ちょっとぐらいで。
土屋様:だと思います。
-留学してよかったなと思う瞬間は、来てよかったな、って思うときはありましたか?
土屋様:やっぱり音楽を通して、民族とか言葉とか宗教とかそういう背景も全然違う人と気さくに話せたときとか、そういうときに音楽の力をすごく感じましたし、それは日本にいたらなかなか経験できなかったものだなと思うので、そういう瞬間は、日本を出てよかったなと思います。
-逆に留学してよくなかったな、という言い方もおかしいですけど、え?って思ったことありますか?
土屋様:携帯をすられたときは、そうでしたね。
-スマホですか?
土屋様:スマホで。自分も結構油断していたんですけど。
-日本の感覚で行っちゃうと、そうですよね。
土屋様:慣れてきた頃に油断しちゃって、やられてしまいました。
-新たに向こうで、現地で買って。
土屋様:そうですね。一番安いやつを買って。
-この間もちょうどウィーンの方とお話したときも、やっぱりスリが多いという。どうしてもそこは気をつけないといけないポイントなのかな、というのは話していましたね。
土屋様:外にいるとき、常にピリピリというか。なのでちょっと怪しそうな人がいたら道を変えるとか。
-夜も気をつけてたりしますか?
土屋様:そうですね。夜は結構気をつけますね。
-暗いところは歩かず、みたいな。
土屋様:そうですね。あとアパートのあった場所が若干治安が怪しいところだったんです。家賃とか安かったですし、音楽物件もそこしか発見できなかったので、やはり練習最優先にしてそこにしたんですけど、家の周りは特に夜はなるべく出歩かないようにして。
-何時以降は歩かない、というのはあるんですか?
土屋様:どうしても歩かなきゃいけないときもあるので、特に決めていたわけではありませんが。
-電車は12時ぐらいまで?
土屋様:結構あります。12時半ぐらいまではあったと思います。
-電車なくなったぐらいからはあまり人通りも。
土屋様:そうですね。夜はブリュッセルは人通りがすごい少なかったです。
-街灯も。
土屋様:そうですね。東京のようにこんな明るくないし。どうしても歩かなきゃいけないときはすごい速歩きで行きました。
-留学されてご自身が変わったなと感じることはありますか?
土屋様:外国に行って、いろんな大変なこともいっぱいあったんですけど、でも大変なことがあったからこそ、人の優しさとか、励ましてくれる人のありがたさを深く感じました。そういうのは日本にいたときは当たり前になってしまっていたというか、全然意識できてなかったなと思っていたんですけど、そこら辺が自分の中ではすごく感じるようになりましたし、帰ってきて、両親への感謝というか、そういうのも前よりはすごい意識して、言葉一つにしても気をつけて生活をしています。
-大変なこととおっしゃってましたけど、具体的にどんな感じで苦労されましたか?
土屋様:最初、言葉も結構準備したつもりだったんですけど、全然わからなくて、全然話せないですし。あとピアノの面でも、特に最初のほうはいろんな手続きとかが大変でなかなか練習時間がとれないので、そうするとどうしても課題に追いつかないですし、そうなると自分を責めてしまったりしていました。せっかく留学させてもらっているのに何もできないじゃないか、みたいなことですごく自分を責めてしまって、悩んだことはありました。
-今後はどのような方向性でご活躍、ご活動されようかなと現段階では思われてますか?
土屋様:ベルギーの2年間で一番感じたことが、自分自身もっともっと力をつけていかなきゃいけないなということです。今まで両親をはじめ、本当にいろんな方に支えてもらって、日本で大学院まで行ってさらに留学までさせてもらって。なので、人の役に立てる音楽家になりたいなというのはすごく感じてます。でも人の役に立つためにはすごく力が必要というか、実力というか、単なる技術だけじゃなくて人間として、まず自分自身がそういうい音楽家になる、抽象的で申し訳ないんですけど、音楽家になるということもそうですし、またそういう音楽家を将来育てていける立場になりたいなと思っています。ベルギーの2年間でフィンランドの先生とコンタクトをとる機会がありまして、その先生がフィンランドのシベリウス音楽院に博士課程あるので、よかったらどうだ?みたいな提案をしてくださいました。この夏、フィンランドに実際に行ってきたんですけど、すごくいい環境で、先生もすごく信頼できる先生だったので、ドクターに挑戦して、もっと勉強して、力をつけて、将来人の役に立てる指導者になっていきたいなと思っています。
-フィンランドの先生に会うきっかけは何だったんですか?
土屋様:もともとフィンランドのシベリウス音楽院にすごく興味があって、そこに博士課程があるというのも知っていて、カリキュラムにすごく魅力を感じていました。ヨーロッパの交換留学制度でそのフィンランドに実際行っていた人が同じ学年にいて、その子がいろいろフィンランドのことを教えてくれました。また、講習会でその先生のレッスンを受けたことのある別の友人がその先生のアドレスを教えてくれたので、返事来ないだろうと思っていたんですけど、思い切ってメールをしたら先生からぜひ会ってみたいというお返事をいただきました。
-実際行かれてみて、いいなと思うポイントは何でしたか?
土屋様:フィンランドの先生は魅力のある演奏をするためにはどうしたらいいか、というのをすごく教えてくださいました。今まであまりそういう発想が自分の中になくて、割と基礎的なことで精いっぱいだったような気がします。もちろんそれも大事なんですけど、うまく言えないのですが、その次のステップをどうしたらいいかとか、より魅力ある音楽家になるためにはどうしたらいいか、というのを、自分にとっての次の課題を教えてくださったような気がして、その先生ともっと勉強したいと思いました。お人柄もすごく温かい先生でした。でもまだ語学や音楽の実力面に加えて経済面でも課題があるので、本当に行けるかはわからないですけども。
-でもPhDは時間をかけてできる部分もあるので。いいですね、ぜひフィンランドに行っていただいて。今のお話を伺っていると、日本だけではなく、ご留学もされてますし、ヨーロッパもあちこち行かれていろんなところを見てらっしゃるという部分もあるので、活動範囲としても世界的に動けたらな、という感じですかね?
土屋様:そうですね。日本に留まらずに。
-ベルギーにいらしたとき、旅行とかでヨーロッパ、どこか近所に旅行に行かれましたか?
土屋様:そうですね、パリとロンドンに行きました。
-演奏を聴く機会はありましたか?
土屋様:パリとロンドンはなかったです。街を見て。
-ナンシーとはまたちょっと違いますよね。
土屋様:そうですね。パリは何回か行ったことがあったんですけど、ロンドンは初めて行って、ベルギーやパリとまた違った雰囲気があって。近代的だし。歩いている人の雰囲気も違うなと思いました。
-大陸と違って孤立している部分もあるんで。最後に一つ伺いたいんですが、これから留学しようと思ってらっしゃる方へのアドバイスを何かいただけたら。
土屋様:留学を通して自分がどう成長していきたいかというビジョンを明確にすることが大事だと思います。もちろん語学面、音楽面の準備とかいろいろあるんですけど、もっと根本的なところで、留学を通して、自分がどういう人間になっていきたいのかというのを明確にしないと、やはりなかなか充実した留学生活にはならないのかなとは思います。
-せっかく行ったのに、ふわっと帰ってきたらもったいないですよね。
土屋様:そうですね。あと、留学する、日本を出るということが目的になってしまうと、向こうに行ってからうまくいかないのかなとは感じました。
-本日は本当にたくさんの貴重なお話しをありがとうございます。